G-ZAWA’s Diary

じーざわの日記

今日と明日と未来の自分

じーざわです。

 

 

お久しぶりです。

 

 

 

さて、突然ですが。

 

 

貴方は5年前の自分が何をしていたか思い出せますか?

 

 

 

私は 現在16歳ですので ま 11歳のことならある程度は思い出せます、が

 

将来的にはきっとそうもいかないと思います

 

 

"2020年の話" という題名でブログを更新したことがありました。↓

https://g-zawa.hateblo.jp/entry/B001_Erich

 

 

 

これは、私が中学1年生≌12歳の頃に体験し、そのとき考えていたことです。

 

後になって見返してみれば、

 

 

高輪ゲートウェイ駅は大したこともなく、

 

 

東京オリンピックもこんな状況で批判を受け、

 

 

期待通りはごちうさの3期だけでした。

 

 

 

こんなもんかと、

 

しかしながら、

それでも我々は 漠然とした「未来」に

希望を抱かざるを得ない 

 

 

 

車が空を飛び、AIが人と意思疎通し、仮想現実で何でもできるようになる

人々は何の憂いも、不自由もなく過ごせるようになる

 

 

そんな事を考えてしまう

 

 

そんな生き物な気がします

 

 

 

 

尤も、

 

 

明確な「明日」には

 

希望どころか

 

 

絶望しているというのが現状です

 

 

 

 

よく考えたら おかしな話かもね

明日は嫌いなのに 未来は大好き

 

 

 

 

明日も未来じゃん

 

でも 未来って無責任だから

 

 

無責任なこと言っても 未来のことだから

 

 

 

 

"いつか叶うかもね。 「いつか」がいつ来るかは知らないけど。"

 

 

 

 

 

 

明日 って

 

私は嫌いです

 

 

明日は 今日と同じだから

 

 

朝起きて、顔を洗って、歯を磨いて、家を出る。

 

自転車に乗って、最寄り駅まで走る。

 

 

駅前に停めて、電車に乗って、学校に着く。

 

 

授業を受ける。

 

 

ご飯を食べる。

 

 

誰かと話す。

クラスメイトかもしれないし、先生かもしれない。

 

 

全部終わったら、帰る。

 

 

朝やった事を、逆回しにする作業。

 

 

以下、くりかえし。

 

 

 

 

授業は退屈だし、勉強もやる気がでないけど、友だちと話すのは楽しいし、学校も嫌いじゃない。

 

でも、

明日が嫌いだ。

 

 

 

 

ちょっぴり ストレスを抱えてるのかもしれないね

 

 

一日一日にほんの少しの棘があって

 

少しずつ 傷を付けているのかもしれない

 

 

「明日」は、明確だから

 

 

その棘が 明日にもあるって

心のどこかで分かってるから

 

 

明日が 嫌いなのかもね

 

 

 

 

 

 

未来は まだ分からないから

 

なんでも好きなことを 勝手に考えていられるから

 

大好き 

 

そういうこと

 

 

 

でも

 

明日もまともに生きられないやつに

未来を語る資格なんてないよ

 

 

そう言われる気がしたなぁ

 

まずは 棘を見つけて抜いて

明日を好きになれるようにしないと

 

 

未来予想図は それから作ろう

 

 

 

 

 

今日はここまで、またいつか。

暦の上では

二月が短いというのもあって、月立ちが早く感じられました。

 

三月のことを旧暦で弥生と呼ぶのは、

「木草弥や生ひ月」

というのが詰まって

 

やよひと為ったのが

 

由来とされているそうです。

 

 


ところで、

 

十月のことを英語でOctoberというのを

私が初めて習ったのは、小学校の英語の時間でしたが、

幼い私はこれに少々違和感を覚えていました。

 

というのも、

オクトパスの由来は足が八本であることや、

オクタゴンとは八角形を指す言葉であることを知っていたからです。

 

ここまで書いて、

私はこれを読むのが英語に精通した人物だったと思い出して

今更になって二の句を綴るのを躊躇っていますが、

 

英語で自己紹介する際、

私は八月生まれですと言うのを、

 

十月生まれです

 

とよく言い間違えては注意されていました。

 

今ではもう十月生まれを自称することはなくなりましたが、

オクトーバーで十月というのが

どうにも腑に落ちず調べ、

やはりoctoとは八を表すラテン語と分かり、

これを以て私の言い間違えは論理的に正しい

と証明できましたが、

 

ここで

「なぜ八なのに十月なのか」

という疑問が改めて生じました。

 

グレゴリオ暦の起源と

ラテン語圏は同一地域ですから、

英語での月の呼び名もそこから派生したものと考え

調べた所、

 

古代ローマロムルス暦では

農業をしない冬の期間に月が存在せず、

暦月が十しかなかったと分かりました。

 

つまり昔は一,二月が存在せず、

現在の十月に当たる月はちょうど八番目、

よってOctoberというのが答えでした。

 


ローマの旧暦では最初の月である三月。

 

季節も移ろい、草木もいよいよ生い茂る春の始まりに、私も一歩成長し、新たなスタートラインを切りたいと思います。

 

 

 


追伸 ロムルス暦の次に作られたヌマ暦では1,2月が追加され、2月が年末になりました。閏年に1日増えるのが2月なのはその名残だそうです。

 

 

※この文章は、日直日誌の自由記事欄に掲載した文章に一部加筆及び修正を施したものです。

自己と周囲と羞恥心

予防線を張らないと

自由に喋れないのが社会だよ

 

 

同じ人間って存在しない

僕は紅茶を飲みたいけど

彼女は飲みたくないかもしれない

 

いいから飲めよというのはいけない

 

人を思いやらなくちゃいけない

人が嫌なことはしちゃいけない

 

こういうのがいっぱい集まったのがルール

 

 

マナーっていうのもある

ご飯を食べながら喋っちゃいけない

見た人が嫌な思いをするから

 

こんな風に

人はスイミーになって決まりごとを作った

 

でも時々それが人を嫌な気持ちにさせる

人を殺しちゃいけないのは

殺された人がもっと生きていたかったかもしれないから

 

でももしそうじゃなかったら

殺してくれと頼まれて殺したら

これはいけないことかな

 

誰かが嫌な気持ちになった?

本当はね こんなに単純な問題じゃない

 

本質は

スイミーは都合で動いてるってことなんだ

いわゆる世間体

 

みんなが右を向いたから

僕も右を向かなくちゃいけない

周りに合わせないとおかしな奴だと思われる

 

制服のない高校に十二単を着ていくと陰口を叩かれる

なんでこんなことになるかというのは

みんなが右を向いているところ

そいつは左を向いたから

 

こいつは変なことやってるぜ

こう思われるに違いない

 

人種差別も同じことが言える

俺とお前は肌の色が違う

だからお前はおかしい

こういう考え

 

 

みんなこれが怖い

僕も怖い

 

だから忖度したり 謙ったりする

相手の気持ちを考えて 嫌な気持ちにさせないようにする

 

もし嫌な気持ちにさせてしまったら

相手は僕を違うやつだと思ってしまう

そうなると

もうそのコミュニティでは生きていけない

スイミー

一回り小さいスイミーの固まりでできている

 

 

エヴァンゲリオンはこういう話だと思ってる

使徒やNERVやWILLEやゼーレ云々は飾りでしかなくて

結局は

親子や友人との関わりが上手くいかないという話

あの話では素直に心の内をさらけ出すことで

みんなが理解してお互いを思いやるようになった

これが理想

現実では決して起こりえない幻想

 

起こらない理由は単純

恥ずかしいからだ

 

自分の思っているありのままを人に言ってしまうのには勇気がいる

裸で外を歩いているのと同じ

 

劇中ではA.T.フィールドと呼んでいた心の壁

壁を作ることで他人に胸の内を悟られないようにしている

そういう風に人間は生きている

 

とても弱い

 

 

少し強くなろう

 

嫌なことは嫌とはっきり言っていい

逆に君も人に嫌なことはしちゃいけない

 

数は少なくていいから

誰か気の置けない友人

あけすけに何でも話せる友達を持ったほうがいい

 

変に我慢し過ぎないほうがいい

人には優しくする

 

そうすれば

少しだけ生きるのが楽になる

 

 

僕はそういうことが言いたかった