G-ZAWA’s Diary

じーざわの日記

2020年の話

「はあ、機械が歌うんですか」


私は顔を顰めながら、言葉を交わしてまだ数日と経たない彼の言い分を聞いていた。

 

「もうそういう時代ですよ」と彼は言う。

つんと澄まして、さも私が間違っていると言わんばかりに目を見やる。

 


ボーカロイドというのは聞いたことがあった。

機械で合成された音声にボーカルをさせ、静止画に文字を動かした自称MVが動画投稿サイトにごまんとあるのを知っていた。

両親が古臭いというのがあって多少原理主義だった私は、それをどうしても受け入れられないきらいがあった。

 


「やはりね、歌というのは人が歌ってこそ温かみがあるというものだ」


大広間に向かいながら、僕らは意見のキャッチボールを続けた。
彼はそんな僕の言葉に呆れたような身振りでこう言った。

「君は世界を知らなすぎるから、ここから帰ったら1度調べてみるといい」


どうやら彼はそのボーカロイドとやらにご執心らしい。偶の鼻歌も何とかPのものだろう。

 

長椅子に着席してしばらく駄弁をしていると、遥か前方で大人がなにか喋り始める。校歌の練習をするようだ。

教頭だか何だかが現れたと思うと、いきなりピアノが流れ始めた。それは当時の音楽科の教師が吹き込んだという校歌のテープだった。

 

バスに乗って静岡まで連れてこさせられたと思ったら、遅い時間まで学校の歴史を聞かされたり、食事に水が出なかったりと、マイナスイメージばかりが膨れ上がる我々の中に、校歌を覚えるような真面目さは微塵も残っていなかった。


大人の言う通りに声を出して、竹芝とか何とかの言葉の説明をされる。もちろん、歌詞の意味なんて今では全く覚えていない。だが、僕は歌がそれなりに好きだったので、メロディだけは覚えて帰った。

 

歌はいいものだ。悲しいことがあっても、声を出せば気分が晴れやかになる。
そこには歌手の心が詰まっている、歌とは歌い手と聞き手との魂のやり取りなのだ。


だからこそ、機械に歌わせるなんて言語道断だと思っていた。

 


家に帰ってから、ボーカロイドによる作品で有名なものをいくつか耳に入れてみた。

とんでもない早口で捲したてたり、およそ人間には出力できそうにない高音のメロディラインが続いたり、歌詞の表示がなければリスニングすらままならないそれらをいくつか聞いて、「なるほど」と思った。


そこには人間の歌い手が介入しないために、歌に厚みがない。だが、歌に込められた思いや情熱は、確かに感じることが出来た。

それは歌手ではなく、作詞及び作曲者の、何のフィルタリングもない純粋な思いだったのだと悟った。

 

そこからの変化は実に目まぐるしいものだった。


それまで苦手で敬遠していたアニメを見るようになった。

所謂萌えキャラを主軸に据えたゲームもするようになった。

卑猥な挿絵のライトノベルも、少しずつ許容できるようになった。

ボーカロイドというひとつのジャンルへの理解が、私を今まで覆っていた偏見というベールを剥がしたようだった。


いつしか、周りがオタクと呼ぶほどまでに私はそれらのコンテンツに入り浸るようになった。ほんの数ヶ月前までの色眼鏡はどうやら、体育大会で半分に割れたらしい。

 

ある時友人が、私も視聴した人気アニメの第3期を2020年に放送するらしいという話を持ってきた。もちろん私も知っていたから、「オリンピックより楽しみだ」と軽口を叩いた。

 

2年の歳月はあまりにも長く、そして短すぎた。

 

電車での下校時、退勤のサラリーマンが窓の向こうを見て、
「あそこで新しい駅を作っているらしいですよ」と話していた。
名前はまだ決まっていないが、泉岳寺になるだろうとも話していた。

 

2020年は行事が盛りだくさんで、お祭り騒ぎの年になるだろうと思っていた。

新駅の開通や、オリンピック、そしてアニメの第3期。その頃の私はどうしているだろうか。

 


2020年が来るのが今から楽しみで仕方ない。