G-ZAWA’s Diary

じーざわの日記

自己と周囲と羞恥心

予防線を張らないと

自由に喋れないのが社会だよ

 

 

同じ人間って存在しない

僕は紅茶を飲みたいけど

彼女は飲みたくないかもしれない

 

いいから飲めよというのはいけない

 

人を思いやらなくちゃいけない

人が嫌なことはしちゃいけない

 

こういうのがいっぱい集まったのがルール

 

 

マナーっていうのもある

ご飯を食べながら喋っちゃいけない

見た人が嫌な思いをするから

 

こんな風に

人はスイミーになって決まりごとを作った

 

でも時々それが人を嫌な気持ちにさせる

人を殺しちゃいけないのは

殺された人がもっと生きていたかったかもしれないから

 

でももしそうじゃなかったら

殺してくれと頼まれて殺したら

これはいけないことかな

 

誰かが嫌な気持ちになった?

本当はね こんなに単純な問題じゃない

 

本質は

スイミーは都合で動いてるってことなんだ

いわゆる世間体

 

みんなが右を向いたから

僕も右を向かなくちゃいけない

周りに合わせないとおかしな奴だと思われる

 

制服のない高校に十二単を着ていくと陰口を叩かれる

なんでこんなことになるかというのは

みんなが右を向いているところ

そいつは左を向いたから

 

こいつは変なことやってるぜ

こう思われるに違いない

 

人種差別も同じことが言える

俺とお前は肌の色が違う

だからお前はおかしい

こういう考え

 

 

みんなこれが怖い

僕も怖い

 

だから忖度したり 謙ったりする

相手の気持ちを考えて 嫌な気持ちにさせないようにする

 

もし嫌な気持ちにさせてしまったら

相手は僕を違うやつだと思ってしまう

そうなると

もうそのコミュニティでは生きていけない

スイミー

一回り小さいスイミーの固まりでできている

 

 

エヴァンゲリオンはこういう話だと思ってる

使徒やNERVやWILLEやゼーレ云々は飾りでしかなくて

結局は

親子や友人との関わりが上手くいかないという話

あの話では素直に心の内をさらけ出すことで

みんなが理解してお互いを思いやるようになった

これが理想

現実では決して起こりえない幻想

 

起こらない理由は単純

恥ずかしいからだ

 

自分の思っているありのままを人に言ってしまうのには勇気がいる

裸で外を歩いているのと同じ

 

劇中ではA.T.フィールドと呼んでいた心の壁

壁を作ることで他人に胸の内を悟られないようにしている

そういう風に人間は生きている

 

とても弱い

 

 

少し強くなろう

 

嫌なことは嫌とはっきり言っていい

逆に君も人に嫌なことはしちゃいけない

 

数は少なくていいから

誰か気の置けない友人

あけすけに何でも話せる友達を持ったほうがいい

 

変に我慢し過ぎないほうがいい

人には優しくする

 

そうすれば

少しだけ生きるのが楽になる

 

 

僕はそういうことが言いたかった